この記事を書いた人 / 市川 麟 大学・学部 / 早稲田大学 社会学部 3年自己紹介「突発的な行動に出るのが得意です。ハワイでボランティア、アメリカ留学、鎌倉で学生団体etc.. 十勝を初めて訪れたのは大学3年の9月で、それ以降十勝の自然、産業、オモロイ大人たちに魅せられています。 いろいろやっているヤツと思われがちですが、実はかなりの怠け者です。 こんな時に読みました 201left 大学の入学以来、ずーっと心をもやもやとさせながら日々過ごしてきました。 原因は「なにかに挑戦しなければ」とか「将来の役に立つようなことをしなければ」という、自分自身にかけていたプレッシャーでした。 とくにやりたいこともないまま大学に入ったら、周囲の学生は何やら全力で熱中できる何かに没頭しており、自分が情けなくなったのです。 自分自身にかけたプレッシャーはどんどん自分の素直な感受性を奪い、ワクワクを感じる機会は減り、義務感を感じながら行動することが多くなっていきました。 『暇と退屈の倫理学』はたまたま購入した本ですが、その底なしの沼の正体を気づかせてくれた本です。 必読ポイント 多様な学術分野で「どのようにすればやりたいことを見つけられるのか」にアプローチする 現代では「生きる意味」を教えてくれるひとはいません。 かつてはその日の食べ物を得ること、自由や権利を獲得することが生きる意味となっていました。しかし現代人はそのどちらにも困ることがなくなっています。しかも、職業は世襲ではなく、自分で見つけなければなりません。 著者である哲学者、國分巧一朗さんは、 「生きる意味」を見つけられない状態が、現代人が抱える「退屈」に発展する。といいます 本書は「なぜ人は退屈しているのか」を解明し、「どのようにすればやりたいことを見つけられるのか」を議論します。その際に、自然科学、考古学、哲学など様々な分野を横断的に扱い、軽快に議論を進めることが本書の見どころです。 「日常の些細な習慣が、実は世界全体と強くつながっている」 ヒトは生存することだけが生きる目的ではなく、生きることには彩りが不可欠であるのです。 それは些細なことでも構いません。 僕の場合、 珈琲を毎朝淹れること、 美味しい珈琲とは何かを考えること、この二つのことが人生に彩をもたらしています。 ーー本当に些細ですね笑 冒頭で申し上げたように大学に入ってからは義務感で行動することが増えました。「世の中のためになること」とか「将来力になること」などなど、仰々しい理由を掲げて自分に行動を促してきました。しかしながら、本書を通して気付いたことは、どんな些細な物事にも深いストーリーがあるということです。 珈琲のケースをとりあげてみましょう。 私は珈琲がなくても、またそれについて深く考えなくても生きていけるけど、珈琲は私の人生を豊かにし、考え方に影響を与えています。 ーー具体的には、 まず美味しい珈琲を淹れるためには豆について熟知する必要があります。 そして自分なりにネット上で珈琲豆について調べていくと、珈琲豆が日本の家庭に到達するまでに多くの人が関わっているということがわかり、 その人々の間での経済格差は世界的な問題となっていることがわかります。 毎朝の珈琲というありふれた習慣が成り立つにも、長い旅路と人々の努力があり、そこには課題も横たわっていることが見えてきます。日常の些細な習慣が実は世界全体と強くつながっていたのです。 「人生を彩るバラ」は誰でも見つけることが出来る 「世の中のために」なんて自分にプレッシャーをかけなくとも、身近にあるものに対して心を開いていれば自然と自分が世界とつながっていくということがわかりました。 本書をよみながら、自分の心の中にあるわだかまりがス―っと解消されていったことを覚えています。 最後に、1番重要なこと&伝えたいことは、何か特別な才能や能力を持っていなくても「人生を彩るバラ」を見つけることができるということです。 それの見つけ方を、本書は解き明かし、優しい語り口で伝えています。